「所得税の負担を納税者の間に公平に配分するためには、所得の概念を包括的に構成する必要がある。これが、包括的所得概念ないし包括的所得税の考え方である。それは、所得税の課税ベースを包括的にとらえることと同じであるから、包括的課税ベース(comprehensive tax base)の考え方とも呼ばれる。この考え方は、最初、ゲオルク・シャンツによって体系化され、その後、ロバート・ヘイグやヘンリー・サイモンズによって主張されたが、とくにアメリカにおいて、1960年ころまでの間に財政学者や租税法学者の間で一般的に支持されるに至り、やがて他の国々の租税専門家の間でも支持を集めるようになった。」
出典:所得概念の研究 所得課税の基礎理論上巻 金子宏著 P.119
ゲオルク・シャンツ:Georg Shanz
ロバート・ヘイグ:Robert Haig
ヘンリー・サイモンズ:Henry Simons
課税除外、課税繰り延べ、所得控除、税額控除、分離課税等のもたらすものは、確かに、課税ベースの縮小であり、課税ベースを縮小すれば、一つには水平・垂直的公平を損ない、また一つには累進税率が高くなって脱税や租税回避行為を誘発して効率性をも損なう。そのアンチテーゼとして、包括的所得税の掛け声は、税制に対して常に一定のフェイルセーフ機能を果たしてきたといえるであろう。
金子先生は、こののち、ビトカーの包括的課税ベースの批判論を検討されていくわけだが、そこは次の機会に譲るとして、話題を会計学の方へ転じてみたい。
私が税理士試験を受験した頃、今から31年前にもなるが、財務諸表論の試験委員をされていたと記憶しているのが森川八洲男先生だった。法学部出身で、法律の頭になっていた私は、簿記と財務諸表論がどうにも苦手で、たいへん苦戦をしていた。そんな折、ふと森川先生の「体系財務諸表論」という本を買って、損益計算の仕組みで目からうろこが落ちたような気がしたその概念が「投下資本の回収計算」という一言であった。そうか、そうだったのか!という感動を覚えたことを今でも覚えている。
今まで無味乾燥に思えていた簿記の仕組みが、一瞬で生き生きと輝く商売の世界に色鮮やかに変化したものだ。
ビジネスのコンセプトや、組み立て方は経営者が100人いれば100通りある。ビジネスとは、単純に言えば、コストをかけてそれ以上に利益を出すことに尽きるのであって、そんなものに正解もへったくれもない。そして、どんな方法を取ろうと、利益を極大化する工夫は無限大に可能である。
そして、仮にビジネスの方法が自由であるとすれば、エクイティホルダーの側として利益に色付けをすることは無意味である。株主の関心事は、利益の極大化であり、株主の目的はその分け前をいかに多く獲得できるかということだけなのだ。
利益を獲得する方法論を論じるのはマネジメントの役割であって、株主の役割ではない。株主は、誰をマネジメントに据えることが自らの利益を極大化するのか、という観点でしか物事を考える必要がない。
だから、株主には役員選任権という共益権があり、配当受領権という自益権が与えられているわけだ。
以前より、秘かに主張している概念をここで持ち出させてもらおう。理屈はともかく、課税主体である国は、エクイティホルダーに利害関係が酷似していることに気づいてもらえるだろうか。被課税主体としてのエンティティの利益が多ければ多いほど課税額が増加するのである。納税を配当と同じにするなと言われる方もおられるかもしれないが、結果としてのこの現象を私は「インプリシット・エクイティホルダー」と名付けている。国は、目に見えない株主なのである。
このように考えることは、かなり有益なことではないかと考えている。国は、乾いたぞうきんを絞るように税金を取ることはないのであって、どんどん企業に儲けてもらって、その分け前を最大限に享受すればよい。課税ベースを包括的に組み立てつつ、税率は下げて、その代わり、国民全員に力いっぱいお金持ちになってもらえばよいではないか。